足利義満は何をした人?金閣寺だけじゃない3つのすごさをわかりやすく解説!

歴史・社会
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「金閣寺を建てた人」として有名な足利義満ですが、実は金閣寺を作っただけではない、歴史に残るすごいリーダーだったことを知っていますか?
今の日本があるのは、この義満さんがバラバラだった国を一つにまとめ、海外との貿易を成功させたおかげでもあるんだ。
今回は、足利義満がどんなすごいことをしたのか、小学5年生でもバッチリわかるように3つのポイントで紹介するよ!

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バラバラだった「2つの朝廷」を一つにまとめた!

当時の日本は、天皇が2人いて、グループが2つに分かれてケンカをしている「南北朝時代」という大変な時期だったんだ。
足利義満は、約60年も続いていたこの大きなケンカを終わらせて、国を一つにまとめることに成功したんだよ。

先生
先生
義満さんは、力ずくで倒すだけじゃなく、話し合いで解決したのがすごかったんだよ。
だいち
だいち
へぇー!60年も続いていたケンカを止めるなんて、よっぽど説得力が強かったんだね。
さくら
さくら
国が一つにならないと、みんな安心して暮らせないもんね。

義満がこのケンカを終わらせたことで、ようやく日本に平和な時間がやってきたんだ。
これが、義満が「室町幕府の全盛期」を作ったと言われる一番の理由なんだよ。

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「日本国王」として中国と貿易をスタート!

義満は、お隣の大きな国「明(今の中国)」と仲良くして、商売をすることを考えたんだ。
当時は「倭寇(わこう)」という海賊が暴れていて困っていたんだけど、義満は「勘合(かんごう)」という特別なカードを使って、本物の貿易船だと証明する仕組みを作ったんだよ。

だいち
だいち
カードを使って海賊と見分けるなんて、今のパスポートみたいでかっこいい!
先生
先生
その通り!この貿易のおかげで、日本にはたくさんのお金や珍しい品物が入ってきたんだ。
さくら
さくら
義満さんは、自分を「日本国王」って名乗って、中国の皇帝とやり取りしたんだよね?

この貿易で儲けたお金があったからこそ、あの豪華な金閣寺を建てることができたんだ。
義満は、武士のリーダーである将軍でありながら、「日本国王」として世界デビューしたすごい人だったんだね。

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豪華すぎる「金閣寺」を建てて文化を広めた!

義満といえば、やっぱり金閣寺だよね。
実は金閣寺は、義満が自分のパワーを見せつけるために建てた、超豪華な別荘だったんだ。

さくら
さくら
金ピカの建物なんて、今の時代に見てもびっくりしちゃうよね。
だいち
だいち
あんなに豪華なものを作れるなんて、義満さんはどれだけお金持ちだったんだろう。
先生
先生
金閣寺は、武士の力強さと、公家(貴族)の美しさがミックスされた「北山文化」のシンボルなんだよ。

義満は、お寺を建てるだけでなく、今も続く「能(のう)」という伝統芸能を応援したりもしたんだ。
日本の文化を華やかにした立役者でもあったんだよ。

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武士と貴族、両方のトップに登りつめた!

義満のすごさは、武士のトップである「将軍」になっただけでは終わらなかったんだ。
なんと、貴族の最高位である「太政大臣(だいじょうだいじん)」という位にもついて、武士と貴族の両方の頂点に立ったんだよ。

だいち
だいち
えっ、1人で2つのチームのキャプテンをやるみたいなこと?!
先生
先生
まさにその通り!歴史上でも、そんなことができた人はほとんどいないんだ。
さくら
さくら
だから、誰にも文句を言わせないくらいのすごい権力を持っていたんだね。

義満は、あまりに力が強すぎて「自分が天皇になろうとしていたんじゃないか?」という噂が出るほどだったんだ。
それくらい、当時の日本で一番の有名人だったんだね。

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まとめ

足利義満が何をした人なのか、最後に大事なポイントをまとめるよ!

  • バラバラだった国を一つにまとめて、南北朝のケンカを終わらせた!
  • 「勘合貿易」を始めて、日本を豊かにお金持ちにした!
  • 金閣寺を建てて、華やかな「北山文化」を作り上げた!
  • 武士(将軍)と貴族(太政大臣)の両方のトップになった!

金閣寺を見るときは、「このピカピカの建物は、日本を一つにまとめて世界と商売をした義満さんのパワーの証なんだ!」と思い出してみてね!