歴史の授業で「足利義政(あしかがよしまさ)」という名前を聞いたことはあるかな?
室町時代の8番目の将軍様なんだけど、実は「政治」よりも「芸術」が大好きだったちょっと変わった人なんだ。
今の私たちが当たり前のように楽しんでいる「お茶」や「お花」の文化は、この義政さんが広めたものなんだよ。
今回は、足利義政がどんなことをした人なのか、どこよりもわかりやすく解説していくね!
足利義政ってどんな人?実は「政治」が苦手な将軍様だった!


でも、おじいちゃんの義満とは性格が全然違ったんだ。
足利義政は、室町幕府の「8代目の将軍」として選ばれたリーダーだよ。
でも、実は本人は「将軍なんてやりたくない!好きなことだけしてたい!」とずっと思っていたんだ。
当時の日本は、誰が次のリーダーになるかでケンカが絶えない、とっても大変な時期だったんだよ。
義政は難しい政治の話を聞くのが嫌になって、自分の好きな「美しいもの」の世界に逃げ込んでしまったんだ。
リーダーとしては少し頼りなかったかもしれないけれど、芸術に関しては超一流のセンスを持っていたんだよ。
京都の「銀閣寺」を作ったのは義政!金閣寺との違いは何?


おじいちゃんの足利義満が作った「金閣寺」は、ピカピカの金箔が貼られていて、とても派手だよね。
それに対して、義政が作った「銀閣寺(東山山荘)」は、木の色を活かしたとっても落ち着いた雰囲気なんだ。
義政は、派手さよりも「地味だけど心が落ち着く美しさ」を大切にしたんだよ。
これを「わび・さび」といって、今の日本人の心に深くつながる考え方なんだ。
銀閣寺は、義政が政治の疲れを癒やすために作った最高のリラックススペースだったんだね。
「東山文化」をスタートさせた!今の日本の暮らしのルーツ


義政の周りには、たくさんの芸術家が集まって、新しい遊びや文化が次々と生まれたんだよ。
例えば、お茶を楽しむ「茶道(さどう)」や、お花を飾る「華道(かどう)」、そして「水墨画(すいぼくが)」もこの時期に発展したんだ。
さらに、今の和室にある「畳(たたみ)」や「障子(しょうじ)」、飾り棚がある「書院造(しょいんづくり)」というスタイルも、義政の時代に完成したんだよ。
もし義政がいなかったら、今の和風の暮らしはなかったかもしれないんだ。
彼は日本の「かっこいい」の基礎を作ったプロデューサーだったといえるね。
「応仁の乱」が起きちゃった!政治を放り投げた結果…


義政が「早く将軍を辞めて遊びたいな〜」と言って、次の将軍を誰にするかハッキリさせなかったことが原因の一つなんだ。
親戚や家来たちが「次は俺の番だ!」「いや、あっちだ!」と大ゲンカを始めてしまったんだよ。
この戦いはなんと11年も続いて、美しい京都の街はボロボロになってしまったんだ。
戦いが起きている間も、義政は銀閣寺の建設や、お酒を飲んで歌を詠むことに夢中だったといわれているよ。
政治家としては失格と言われることもあるけれど、そんな中でも文化を守り続けたのは、彼なりのこだわりだったのかもしれないね。
この大混乱のあと、日本は有名な戦国時代へと突入していくことになるんだ。
まとめ
足利義政がどんな人だったか、イメージできたかな?
最後に、大切なポイントをまとめておくね!
- 室町幕府の8代目将軍だけど、政治よりも芸術が大好きだった。
- 派手な金閣寺とは対照的な、落ち着いた雰囲気の「銀閣寺」を作った。
- 茶道や華道、和室のスタイルなど、今の日本文化のルーツ「東山文化」を育てた。
- 「応仁の乱」の原因を作ってしまったけれど、文化の面では歴史に大きな名前を残した。
次に和室に入ったり、お茶を飲んだりするときは、ぜひ足利義政のことを思い出してみてね!

