ジョン万次郎といえば、嵐で遭難してアメリカの船に助けられ、日本に初めて英語や西洋の文化を伝えたヒーローとして有名だよね。
でも、彼が日本に帰ってきたあとの「最後」がどうなったのかを知っている人は、意外と少ないかもしれないんだ。
実は、あんなに大冒険をした万次郎の晩年は、驚くほど静かで穏やかなものだったんだよ。
今回は、彼がどのように人生の幕を閉じたのか、小学5年生でもわかるように優しくお話ししていくね。
冒険のあとの静かな暮らし!万次郎の晩年はどうだったの?



万次郎は、明治時代になると今の東京大学で英語を教える先生になったんだ。
でも、40代のころに病気(軽い脳溢血)で倒れてからは、政治や難しい仕事からは離れて、
家族と一緒にゆっくり過ごす時間を大切にするようになったんだよ。
若いころに世界の海を駆け巡った万次郎にとって、日本での静かな生活は、
もしかしたら一番欲しかった幸せだったのかもしれないね。
派手な活躍はしなくなったけれど、お医者さんになった息子さんの家で大切にされて過ごしたんだよ。
最後はいつ、どこで?万次郎が旅立った場所



万次郎は、71歳でその生涯を終えたんだ。
当時の年齢としては、かなり長生きしたほうだと言えるね。
亡くなった場所は、今の東京都中央区銀座のあたり(当時の京橋弓町)にあった長男の家だったんだ。
家族に見守られながら、とても穏やかに息を引き取ったと伝えられているよ。
あんなに激しい波に揉まれた人生だったけれど、最後は畳の上で静かに眠りにつけたんだね。
英語を忘れてしまった!?晩年の不思議なエピソード


晩年の万次郎をアメリカの友人が訪ねてきたとき、
なんと万次郎は英語がほとんど話せなくなっていたという記録があるんだ。
あんなに得意だった英語を忘れてしまうなんて、びっくりだよね。
でもこれは、彼がそれだけ「日本の生活」にどっぷりと浸かって、
一人の日本人・中浜万次郎として穏やかに生きていた証拠なのかもしれないね。
無理に英語を使って仕事をする必要がないくらい、平和な毎日を送っていたんだよ。
万次郎がいま眠っている場所とお墓の秘密


万次郎のお墓は、東京都豊島区にある雑司ヶ谷霊園(ぞうしがやれいえん)にあるんだ。
そこには夏目漱石など、有名な人たちもたくさん眠っている場所だよ。
実は、彼の故郷である高知県土佐清水市にも「仮のお墓」があるんだ。
それは、万次郎が遭難して行方不明になったとき、
お母さんが「せめてお墓だけでも」と石を置いて作ったものなんだって。
息子を思うお母さんの優しさが、今も故郷に残っているなんて素敵だよね。
まとめ



ジョン万次郎の最後について、大切なポイントをまとめるね。
- 晩年は大きな病気をしたあと、政治の世界を離れて静かに暮らした。
- 明治31年に71歳で、東京にある息子の家で穏やかに亡くなった。
- 最後の方は英語をほとんど忘れていたという、人間らしいエピソードがある。
- 今は東京の雑司ヶ谷霊園に眠っていて、誰でもお参りすることができる。
波乱万丈な人生を送った万次郎だけど、最後は家族に囲まれて、
「中浜万次郎」という一人の人間として、安らかに旅立っていったんだね。

