今の日本が世界でも有名な工業の国になれたのは、150年以上も前に「未来の日本」を信じて動いた人がいたからなんだ。
その一人が、小栗忠順(おぐりただまさ)というお侍さんだよ。
彼は横須賀に、当時としては世界でもトップクラスの大きな工場を作ったんだ。
今回は、なぜ彼がそんなすごいものを作ったのか、その秘密を一緒に見ていこうね。
横須賀製鉄所ってどんな場所だったの?



江戸時代の終わりごろ、日本には外国からたくさんの大きな黒い船(黒船)がやってきて、みんなを驚かせたんだ。
当時の日本には、そんな大きな船を直す場所がどこにもなかったんだよ。
そこで小栗忠順は、日本の海を自分たちで守るために、大きな船をメンテナンスできる場所が必要だと考えたんだ。
これが、今の横須賀にある大きな造船所の始まりになったんだよ。
小栗忠順が横須賀製鉄所を作った本当の理由


もし船が壊れるたびに外国にお願いしていたら、いつまで経っても日本は自立できないよね。
小栗忠順は、日本を外国に負けないくらい強い国にするために、最新の技術を日本に取り入れようとしたんだ。
彼は、たとえ江戸幕府がなくなっても、この工場があれば次の時代の日本が助かると信じていたんだよ。
まるで、未来の子供たちのために大きな宝物が入った貯金箱を残してくれたようなものだね。
フランスの力を借りて作った最新の工場


小栗忠順は、自分たちのプライドにこだわるのではなく、良いものはどんどん取り入れる柔軟な考えを持っていたんだ。
フランスから最新の機械を運び込み、レンガを焼くところから始めたんだよ。
横須賀製鉄所は、日本とフランスが協力して作った友情の証でもあったんだね。
この時使われたレンガや、フランスから届いた大きなスチームハンマーは、今でも大切に残されているんだよ。
小栗忠順が「近代日本の父」と呼ばれるわけ


「土蔵付きの家」というのは、たとえ家が火事で燃えても、蔵の中に宝物があればまたやり直せるという意味なんだ。
江戸幕府が倒れたあとも、この工場は明治政府に引き継がれて、日本の産業を支え続けたんだよ。
小栗忠順がいたからこそ、日本は工業の国として大きく成長できたんだ。
今の便利な生活があるのは、150年前の彼の勇気ある決断のおかげと言っても言い過ぎじゃないんだよ。
まとめ
- 横須賀製鉄所は、外国の船に対抗するために作られた日本初の本格的な「船の工場」だった。
- 小栗忠順は、幕府のためだけでなく「未来の日本」が困らないように工場を作る決意をした。
- フランスのエンジニアと協力して、世界に負けない最新の技術を日本に取り入れた。
- この工場があったおかげで、日本は新しい時代になってもスムーズに工業化を進めることができた。

