戦国時代の終わりを告げた「小田原城の戦い」とは?わかりやすく解説!

歴史・社会
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小田原城の戦いは、戦国時代の終わりに大きな影響を与えた重要な戦いです。

先生
先生
この戦いは、天下統一を目指していた豊臣秀吉が、最後まで抵抗を続けた北条氏を攻めたことで起こったんだよ。

この記事では、小田原城の戦いの背景や戦いの流れ、結末とその影響について、わかりやすく説明していきます。

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小田原城の戦いとは?その背景と目的

先生
先生
小田原城の戦いは、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が天下統一を目指して行った戦いのひとつで、戦国時代を終わらせる大きなきっかけになったんだよ。
だいち
だいち
戦国時代を終わらせるために、小田原城を攻めたんだね!

なぜ小田原城の戦いが起こったのか

豊臣秀吉は、もともと農民の出身でしたが、武士としてのし上がり、力をつけていきました。

そして、信長の後継者として日本全体を支配しようとし、戦国大名(だいみょう)たちを次々と従えながら「天下統一」を目指していきました。

しかし、関東地方に大きな力を持っていた北条氏だけは、豊臣秀吉に従おうとはせず、独立を保ち続けていました。

北条氏は、いくつもの城を持ち、その中でも「小田原城(おだわらじょう)」は大きくて守りが固いことで有名な城だったのです。

秀吉の狙いと目的

豊臣秀吉は「日本全体をひとつにまとめる」ことを目的としていたため、北条氏が自分に従わないことがどうしても許せませんでした。

そこで、秀吉は関東を支配する北条氏を服従させ、日本全体を平和に治めるため、強力な軍を集めて小田原城を攻める決断をしたのです。

さくら
さくら
日本をまとめるためには、北条氏をどうにかしないといけなかったんだね!
先生
先生
そうだね。だから秀吉は、多くの兵士を集めて、北条氏の本拠地(ほんきょち)である小田原城を包囲(ほうい)することにしたんだよ。

小田原城の戦いは、豊臣秀吉が最後の強敵である北条氏を制し、日本全体をまとめようとした戦いでした。

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小田原城の戦いの流れと作戦

先生
先生
次に、小田原城の戦いがどのように進んでいったのか、その作戦について見ていこう!
だいち
だいち
秀吉が小田原城を攻めるためにどんな作戦を使ったのか気になるな!

豊臣秀吉が取った作戦とは?

豊臣秀吉は1590年、全国から約22万人という大軍を集めて小田原城を取り囲みました。

普通、戦いは城に攻め込んで直接戦うことが多いのですが、小田原城は堀(ほり)や高い壁に守られた、非常に固い城だったため、簡単には攻め落とせませんでした。

そのため秀吉は、正面からの攻撃ではなく「兵糧攻め(ひょうろうぜめ)」という作戦をとりました。

これは、城の周りを完全に囲んで出入りを止め、城の中に食料や水が入らないようにする方法です。

こうして、城の中の兵士たちが食べ物に困って降参するのを待つ作戦です。

秀吉の工夫した「一風変わった作戦」

秀吉はただ包囲するだけでなく、兵士たちの士気(しき)を高め、周りの人々にも圧倒的な力を見せつけるため、周りに一種の「見せるための町」を作りました。

この「一夜城(いちやじょう)」と呼ばれるものは、城に攻め込むための仮の町や陣地で、建物やお店まであったといわれています。

さくら
さくら
戦うだけじゃなく、見せるための作戦も使っていたんだね!

北条氏の対策と防御

一方、北条氏は城の中で食料を貯め込み、長期戦に備えていました。

小田原城の周りには厚い壁や深い堀があり、兵士たちも多くの武器を持って守りを固めていました。

北条氏も、「兵糧攻め」に耐えようと、秀吉の軍に簡単には降伏しないよう粘り強く対抗したのです。

だいち
だいち
北条氏も城の中でがんばっていたんだね!
先生
先生
そうだね。けれども、秀吉の大軍に取り囲まれてしまい、だんだんと食料が減っていったんだ。

小田原城の戦いでは、秀吉が兵糧攻めを使って北条氏を追い詰め、城を直接攻めるのではなく、長期間にわたって包囲することで勝利を目指しました。

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小田原城の戦いの結末とその影響

先生
先生
それでは、小田原城の戦いの結末と、戦いが日本全体にどんな影響を与えたか見てみよう!
だいち
だいち
戦いが終わって、どんなふうに世の中が変わったのか知りたい!

小田原城の戦いの結末

長い間包囲された小田原城の中では、食料がどんどん減っていき、北条氏の兵士たちは疲れ果てていきました。

ついに1590年7月、北条氏は耐えきれずに降伏し、小田原城は豊臣秀吉のものになりました。

この結果、北条氏の時代は終わりを迎え、関東地方は豊臣秀吉の支配下に入ったのです。

小田原城の戦いがもたらした影響

小田原城の戦いで北条氏を滅ぼしたことで、豊臣秀吉は日本全国をほぼ支配できるようになりました。

これによって、戦国時代のような各地での戦いが次第になくなり、日本全体が1つにまとまる方向へと進んでいきました

また、この戦いの後、秀吉は他の大名たちに新しいルールを作って、無駄な戦いを起こさないようにしました

これが、戦国時代が終わり、「平和な時代」へと移り変わる大きなきっかけとなったのです。

さくら
さくら
秀吉が日本をまとめて平和にするために、がんばったんだね!

北条氏滅亡の影響

北条氏が滅んだことで、関東地方には秀吉が信頼する武将たちが配置されるようになり、日本各地がより統一されていきました。

特に後の時代には、徳川家康が関東地方を支配するようになり、これが江戸幕府の時代への布石(ふせき)ともなりました。

だいち
だいち
北条氏の後には徳川家康が関東を支配するようになって、また新しい時代が始まったんだね!
先生
先生
そうなんだ。小田原城の戦いは、戦国時代が終わり、平和な時代が始まる大事な戦いだったんだよ。

小田原城の戦いによって、戦国時代は終わり、日本は豊臣秀吉のもとで1つにまとまりました。

そして、次の時代である江戸時代に向けての基盤も作られたのです。

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小田原城の戦いで活躍した人物たち

先生
先生
小田原城の戦いには、豊臣秀吉をはじめ、多くの有名な武将たちが参加していたんだよ。
さくら
さくら
戦国時代の有名な人たちが、たくさん関わっていたんだね!

豊臣秀吉:天下統一を目指したリーダー

豊臣秀吉は、この戦いの中心人物で、北条氏を倒して関東地方を支配し、日本をひとつにまとめることを目指していました。

秀吉のもとに集まった兵士は約22万人という大軍で、当時としてはものすごい数でした。

小田原城を包囲し、兵糧攻めの作戦で北条氏を降伏させたことで、秀吉は日本のほぼ全土を支配することができるようになったのです。

真田昌幸(さなだ まさゆき):戦略に優れた武将

真田昌幸は、戦略や知略(ちりゃく)に優れた武将として有名で、小田原城の戦いにも加わっていました。

昌幸は、北条氏の防御を分析し、戦いを有利に進めるための作戦を秀吉に提案したと言われています。

戦術に優れた真田昌幸の知恵は、秀吉軍にとって大きな力になりました。

前田利家(まえだ としいえ):秀吉の信頼を得た武将

前田利家は、豊臣秀吉の信頼が厚い武将で、小田原城の戦いでも重要な役割を果たしました。

利家は、自らの軍を率いて秀吉の作戦を忠実に実行し、包囲作戦を成功させるために尽力しました。

秀吉が多くの武将をまとめる上で、利家の協力がとても役立ったのです。

北条氏政(ほうじょう うじまさ):小田原城を守る北条氏のリーダー

一方で、小田原城を守っていたのが北条氏政です。

氏政は小田原城を中心に北条氏の領地を守り、秀吉軍の包囲に耐えようと努力しました。

長い間にわたって抵抗を続けましたが、食料が尽きて兵士も疲れ果てたため、やむを得ず秀吉に降伏することを選びました。

だいち
だいち
いろんな武将が、それぞれの立場で戦っていたんだね!
先生
先生
そうだね。こうした人たちの働きで、小田原城の戦いは大きな歴史の一部になったんだよ。

小田原城の戦いには、豊臣秀吉や真田昌幸、前田利家といった有名な武将たちが関わり、それぞれの役割を果たしました。

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まとめ

小田原城の戦いは、豊臣秀吉が戦国時代を終わらせ、日本をひとつにまとめようとした最後の戦いでした。

この戦いにより、関東地方を支配していた北条氏が降伏し、秀吉は日本全土をほぼ支配することができるようになりました。

今日のポイント
  • 戦いの目的:豊臣秀吉が天下統一を目指し、北条氏を服従させるため
  • 作戦と流れ:兵糧攻めや「一夜城」のような見せる作戦
  • 結末と影響:北条氏が降伏し、日本が豊臣政権のもとでまとまるきっかけに

小田原城の戦いは、戦国時代が終わり、平和な時代が始まるための重要な一歩でした。

この歴史的な出来事を学ぶと、平和の大切さを考えるきっかけにもなりますね。