小学生でもわかる鑑真が日本に来た理由|5回の失敗と失明を乗り越えた感動の物語

鑑真 歴史・社会
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奈良時代の歴史に欠かせない重要人物、鑑真(がんじん)について一緒に学んでいきましょう。
今の日本があるのは、この鑑真さんが命がけで海を渡ってきてくれたおかげだと言っても大げさではありません。
でも、なぜ彼は目が見えなくなるほどの苦労をしてまで、遠い日本へやってきたのでしょうか?
小学5年生のみなさんにもわかりやすく、その感動のストーリーを解説するよ。

先生
先生
今日は奈良時代に中国からやってきた「鑑真」さんについてお話しするよ。
だいち
だいち
鑑真って、教科書で目が閉じている写真を見たことがあるよ!
さくら
さくら
どうして日本に来るのがそんなに大変だったの?
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鑑真は何をした人?日本の仏教を立て直した「すごい先生」

当時の日本では、仏教がとても大切にされていました。
でも、大きな悩みがあったんだ。
それは、「ちゃんとしたお坊さんになるためのルール」がバラバラだったことだよ。
当時は「お坊さんになれば税金を払わなくていい」という決まりがあったから、自分勝手にお坊さんを名乗る人が増えて、国が困っていたんだね。
そこで、中国(当時の唐)で一番有名だった鑑真先生に、「正しいルール(戒律)を日本に教えに来てください!」とお願いすることになったんだ。
鑑真さんは、日本で初めて「授戒(じゅかい)」という正式な儀式を広めて、お坊さんの質をビシッと整えた人なんだよ。

だいち
だいち
えっ、自分勝手にお坊さんになってた人がいたの?
先生
先生
そうなんだ。だから、国が認める「本物のお坊さん」を決めるためのルールが必要だったんだよ。
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5回の失敗と失明!命をかけた6度目の挑戦

今の時代なら飛行機で数時間だけど、当時は命がけの船旅だったんだ。
鑑真さんは日本に行こうとして、なんと5回も失敗しているよ。
嵐で船が壊れたり、弟子が心配して役人に通報して止められたり、本当に大変だったんだ。
その苦労の中で、鑑真さんは激しい疲れや病気が原因で、両方の目が見えなくなってしまったんだ。
それでも「日本のために教えを伝えたい」という気持ちは消えなかったんだね。
そして10年以上たった6回目、ついに日本の土を踏むことができたんだよ。

さくら
さくら
目が見えなくなっても諦めないなんて、すごすぎるよ…。
先生
先生
それだけ、日本に正しい教えを伝えたいという気持ちが強かったんだね。
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日本に伝えたのは仏教だけじゃない?薬や文化の恩返し

鑑真さんが日本に持ってきたのは、お経や仏教のルールだけではなかったんだ。
実は、「薬(漢方)」の知識もたくさん伝えてくれたんだよ。
目が見えなくても、鼻で薬草の匂いをかいで、それがどんな薬かを見分けたという伝説もあるくらいなんだ。
また、砂糖や豆腐、味噌などの食べ物や、新しい建築の技術も日本に伝わったと言われているよ。
奈良にある「唐招提寺(とうしょうだいじ)」は、鑑真さんが教えを広めるために建てたお寺で、今でも世界遺産として大切にされているんだ。

だいち
だいち
薬や食べ物まで!鑑真さんは日本の恩人なんだね。
さくら
さくら
唐招提寺、今度お父さんと行ってみたいな!
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鑑真が今の日本に残したもの

鑑真さんが日本に来てくれたおかげで、日本の仏教はとても立派なものになったんだ。
彼が伝えた「ルールを守る大切さ」は、今でも日本人の心の中に根付いているのかもしれないね。
もし鑑真さんが5回の失敗で諦めていたら、今の奈良の景色も、日本の歴史も全然違うものになっていたはずだよ。
「どんなに苦しくても、正しいと思うことをやり抜く」という鑑真さんの強さは、今の私たちにも大切なことを教えてくれているね。

先生
先生
鑑真さんの不屈の精神、みんなの心にも届いたかな?
だいち
だいち
うん!テストの名前を覚えるだけじゃなくて、物語を知るともっと尊敬しちゃうな。
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まとめ

  • 鑑真は、奈良時代に中国から正しい仏教のルール(戒律)を伝えに来た高僧。
  • 5回の渡航失敗や失明という苦難を乗り越え、10年以上かけて日本にやってきた。
  • 奈良に唐招提寺を建て、たくさんのお坊さんを育てた。
  • 仏教だけでなく、医学(薬)や建築などの進んだ文化も日本に伝えた。