金沢城の歴史や見どころについて、日本一わかりやすく解説します。
この記事を読めば、金沢城がどんなお城で、どんなスゴイひみつが隠されているのかが、ばっちりわかりますよ。
今日は、歴史にくわしい先生と、元気なだいちくん、さくらちゃんと一緒に、金沢城のふしぎを探しにいきましょう。




燃えたり建てられたり!金沢城の波乱万丈な歴史ものがたり



金沢城の本格的なお城づくりを始めたのは、今から400年以上も昔の、前田利家(まえだとしいえ)というとても有名な武将です。
彼は、この土地を豊かで強い国にしようと、立派なお城を築き始めました。
でも、昔の建物は木でできているから、火事にとっても弱かったんだ。
金沢城も、大きな火事に何度もあって、大切な建物がたくさん燃えてしまいました。
みんなのお家が火事になったら、すごく悲しいし大変だよね。
お城が燃えるというのは、それ以上に大変なことだったんだ。


だから、金沢城は火事に強くなる工夫がされたり、前より立派な建物が建てられたりして、どんどんパワーアップしていったんだ。
そして、武士の時代である江戸時代が終わると、金沢城の役割も変わっていきました。
お城は戦いのための場所ではなくなり、日本の軍隊が使う施設になったり、みんなが勉強する大学のキャンパスになったりしたこともあります。
いろんな時代で、いろんなお仕事を経験してきたお城なんだね。
そして今、金沢城では「復元(ふくげん)」という作業が進められています。
これは、昔の絵や記録をもとにして、昔の姿そっくりに建物を建て直すことなんだ。
みんながプラモデルを作る時、設計図を見ながら組み立てるよね。
それと似ていて、昔の人がどうやって建てたのかを研究しながら、同じ材料や同じ方法で、丁寧にもとの姿に戻しているんだよ。
だから、今の金沢城に行くと、まるで昔の時代にタイムスリップしたような気持ちになれるんだ。
お城のテーマパーク!金沢城の絶対見逃せない見どころスポット


菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
これは、金沢城の中でも特に有名で、写真でもよく見る長い建物だよ。
「ひしやぐら」「ごじっけんながや」「はしづめもんつづきやぐら」と読むんだ。
3つの建物がくっついていて、とっても大きくて迫力があるんだよ。
見た目は真っ白でとてもきれいだけど、実はこれ、敵と戦うための仕掛けがいっぱいの戦闘基地なんだ。
壁には「石落とし」といって、石垣をのぼってくる敵に上から石を落とすための穴が開いていたり、「鉄砲狭間(てっぽうざま)」という鉄砲を撃つための小さな窓がたくさんあったりするんだ。
きれいな見た目にだまされちゃいけない、強力な守りの要塞なんだね。
河北門(かほくもん)
河北門は、金沢城の正面玄関ともいえる、とっても立派な門だよ。
みんなの学校でいうと、校門みたいなものかな。
でも、ただの門じゃなくて、敵が簡単に入ってこれないように、複雑な造りをしているんだ。
この門も最近、昔の姿に復元されたんだよ。
門をくぐると、まるでお殿様になったような気分が味わえるかもしれないね。
玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)
お城の中には、戦うための場所だけじゃなく、こんなに美しいお庭もあるんだ。
ここは、お殿様やその家族が、景色をながめたりして、心を休めるための場所だったんだって。
池や滝、たくさんの木々があって、季節によっていろんな顔を見せてくれるよ。
戦いばかりじゃない、お城の暮らしの別の顔が見える、すてきな場所だね。

白い屋根のひみつ


その通り。
金沢城の屋根瓦は、実は「鉛(なまり)」でできているんだ。
だから、ちょっと白っぽく見えるんだね。
でも、どうして鉛なんだろう。
それは、いざ戦争になった時に、この屋根瓦を溶かして鉄砲の弾を作るためだったんだ。
普段はきれいな屋根としてお城を守り、いざという時には武器に変わる。
これも、昔の人のすごい知恵と工夫なんだよ。
石垣の博物館って本当?いろんな形の石垣を探してみよう!


そもそも石垣って、なんのためにあるか知ってるかな。
石垣は、お城を敵から守るための高い壁であり、お城の建物がくずれないように支える土台でもあるんだ。
お家を建てる時も、しっかりした土台(基礎)を作るよね。
それと同じで、石垣はお城にとって、とっても大事な部分なんだ。
金沢城が「石垣の博物館」と呼ばれる理由は、作られた時代が違う、いろんな種類の石垣を一度に見ることができるからなんだよ。
いくつか代表的なものを紹介しよう。
- 野面積み(のづらづみ)
これは、一番古いタイプの石垣だよ。自然の石をあまり加工しないで、そのまま積んでいく方法だ。パズルみたいに組み合わせていくんだけど、石の形がバラバラだから、すき間が多いのが特徴だ。 - 打込接(うちこみはぎ)
野面積みよりも、ちょっと進化したタイプだ。石の角や表面を少しだけ叩いて平らにして、石同士がうまくかみ合うように積んでいくんだ。すき間が少なくなって、より強くなっているよ。 - 切込接(きりこみはぎ)
これが一番新しくて、一番頑丈な積み方だ。石をきれいに四角くカットして、すき間がほとんどないように、ピッタリと積み上げていくんだ。見た目もすごくきれいで、まるで石の壁みたいだよ。


場所によって石の積み方が違うのは、火事で燃えて建て直した時に、その時代の最新の技術を使ったからなんだ。
だから、金沢城の石垣は、歴史の教科書そのものなんだね。
どうしててっぺんがないの?金沢城に天守閣がないふしぎな理由



それはね、今から400年くらい前のこと。
なんと、天守閣に雷が落ちて、火事になって燃えてしまったんだ。
本当に、運が悪かったとしか言えない悲しい出来事だったんだ。
でも、ここで一つの疑問がわいてくるよね。
「どうして、また建て直さなかったの?」って。
ほかの建物は何度も建て直しているのに、お城のシンボルである天守閣だけは、なぜか建て直されなかったんだ。
これには、ふかーい理由があるんだよ。
当時の日本で一番力を持っていたのは、江戸にいた徳川将軍家、つまり「江戸幕府」だったんだ。
金沢を治めていた前田家は、とてもお金持ちで力のある大名だったんだけど、将軍家から「あいつらは、強すぎてちょっとあぶないな」と目をつけられないように、いつも気を使っていたんだ。
もし、燃えた天守閣を前よりもっと大きくて立派に建て直したら、どうなるだろう。
江戸の将軍様は、「なんだ、金沢の前田は、わしよりも目立とうとしているのか。生意気なやつだ。」って、怒ってしまうかもしれないよね。
学校のクラスで一番力の強いA君がいるとして、B君がA君よりもピカピカで大きな筆箱を持っていたら、A君はちょっと面白くない気持ちになるかもしれない。
それと似ていて、前田家は、将軍様を怒らせないように、わざと天守閣を建て直さなかったと考えられているんだ。
天守閣を建てるかわりに、さっき紹介した菱櫓や五十間長屋のような、実用的な建物を立派にすることにお金や力を使ったんだね。
目立つシンボルよりも、実際の守りを固めることを選んだ、前田家の賢い作戦だったのかもしれないね。
まとめ
今日は金沢城の歴史と見どころについて、たくさん学んだね。






- 金沢城は前田利家が築き始め、何度も火事を乗り越えてきた強いお城。
- 菱櫓や五十間長屋、白い鉛の屋根瓦など、戦いのための工夫がいっぱい。
- 作られた時代が違う石垣がたくさんあって「石垣の博物館」と呼ばれている。
- 天守閣は昔あったけど火事で燃え、江戸幕府への遠慮から再建されなかった。
金沢城に行ったら、ぜひ今日お話ししたことを思い出しながら探検してみてね。
美しい庭園を散歩したり、復元された建物の中に入ってみたり、石垣の模様をじっくり観察したり…。
きっと、教科書で勉強するだけではわからない、たくさんの発見があるはずだよ。
今度は、みんなで実際に金沢城を歩いてみようね。


