【小学生にもわかる!】鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)とは?どんな人?わかりやすく解説!

歴史・社会
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鱗形屋孫兵衛は、金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』という本を大ヒットさせた人物です。
また、「吉原細見(よしわらさいけん)」という遊郭のガイドブックも手がけていて、江戸の人たちにとって大切な情報を届ける仕事をしていました。

だいち
だいち
へぇ〜!江戸時代にもガイドブックがあったんだね!でも、どうして鱗形屋孫兵衛がそんなに有名なの?
先生
先生
それはね、江戸時代の「ヒットメーカー」だったからだよ! 有名な蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)の師匠でもありライバルでもあって、江戸のエンタメを支えた「大物プロデューサー」だったんだ!

この記事では、鱗形屋孫兵衛がどんな人だったのか、どんな本を作ったのか、なぜ有名なのかを、小学生にもわかりやすく解説します!

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鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)とは?どんな人?

だいち
だいち
先生、鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)って、どんな人なの?何をしてたの?
先生
先生
いい質問だね!鱗形屋孫兵衛は、江戸時代に「地本問屋(じほんどいや)」という仕事をしていた人だよ。地本問屋っていうのは、いまで言う「出版社の社長」や「本のプロデューサー」のような存在だったんだ。

📚 鱗形屋孫兵衛の基本情報

名前鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)
生まれた時代江戸時代(生没年は不詳)
職業地本問屋(じほんどいや)→いまで言う「出版社の社長」
活やくした場所江戸(いまの東京都中央区・大伝馬町三丁目)
屋号(やごう)鶴鱗堂(かくりんどう)または鶴林堂(かくりんどう)

鱗形屋孫兵衛は、江戸の大伝馬町(おおでんまちょう)三丁目に店をかまえていた本屋さんです。
彼が働いていた「地本問屋(じほんどいや)」は、いまで言うと「出版社」のようなものです。

本の作り方もいまでの出版社と似ていて、作家(いまで言う小説家)や絵師(いまで言うイラストレーター)と協力して、面白い本を作り、売る仕事をしていました。

だいち
だいち
なるほど!本を作って売る人なんだね。いまで言う「マンガの編集者さん」とか「出版社の人」って感じだね!
先生
先生
そのとおり!でも、鱗形屋孫兵衛はただの本屋さんじゃなかったんだよ。 彼は**江戸時代の「ヒットメーカー」**とも言われるくらい、たくさんの人気本を作ったんだ!

📘 地本問屋(じほんどいや)って何?

だいち
だいち
「地本問屋(じほんどいや)」って、どういう仕事なの?聞いたことない言葉だなあ。
先生
先生
いい質問だね!地本問屋(じほんどいや)っていうのは、いまで言う「出版社」や「本のプロデューサー」みたいな仕事なんだ。

📗 地本問屋の仕事の流れ

1️⃣ 面白い本のアイデアを考える(いまで言う「編集者」の仕事)
2️⃣ 作家や絵師に「こんな本を作ろう!」とお願いする(いまで言う「プロデューサー」の仕事)
3️⃣ できた本を売るために、本屋さんに届ける(いまで言う「販売会社」の仕事)

だいち
だいち
なんだか、いまの出版社の仕事とそっくりだね!
先生
先生
そのとおり!江戸時代の人たちは、本屋さんや貸本屋さんでこれらの本を借りたり買ったりして楽しんでいたんだよ。

🌟 鱗形屋孫兵衛のすごさとは?

だいち
だいち
でも、ただの「出版社の人」なら、そんなに有名にならないんじゃないの?何がすごいの?
先生
先生
それがね、鱗形屋孫兵衛は、ただの出版社の人じゃなかったんだ! 彼は**「江戸のヒットメーカー」**と呼ばれるほど、ヒット本や有名なガイドブックを作り出したすごい人だったんだよ!

📘 鱗形屋孫兵衛が手がけたヒット作品

1️⃣ 『吉原細見(よしわらさいけん)』

  • 吉原遊郭の「お店や遊女の情報がわかるガイドブック」
  • いまで言う「観光ガイドブック」や「お店のレビュー本」みたいな感じ
  • 江戸時代の人はこの本を読んで、どの店に行こうかな?と考えていたと言われています。

2️⃣ 『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』

  • 黄表紙(きびょうし)というジャンルを作った画期的な作品
  • いまで言う「ギャグマンガ」のように、面白い物語で大人気になった
  • 主人公の「金兵衛(きんべえ)」が見た夢を描いた物語
だいち
だいち
おぉ!「吉原細見」って観光ガイドブックみたいだし、「金々先生栄花夢」はギャグマンガみたいだね!
先生
先生
そのとおり!いまで言うと、「人気の観光ガイドブック」と「ギャグマンガのベストセラー」を両方ヒットさせたようなすごい人だったんだ!

📝 この章のまとめ

  • 鱗形屋孫兵衛は、江戸時代の「地本問屋(いまで言う出版社の社長)」として活やくした人です。
  • 彼は、**本を作ったり、人気の浮世絵を売ったりする「江戸のヒットメーカー」**でした。
  • 代表作は、**『吉原細見(よしわらさいけん)』や『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』**があります。
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どうして鱗形屋孫兵衛が有名なの?その理由を解説!

だいち
だいち
先生、鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)って、どうして有名なの?ほかにも本を作る人はいたんでしょ?
先生
先生
いい質問だね!鱗形屋孫兵衛が有名な理由は、大ヒットを作り出した「ヒットメーカー」だったからだよ! それに、有名な「蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)」とも深い関係があるんだ。

📘 1. 「蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)」との関係

だいち
だいち
あ!蔦屋重三郎って、あのTSUTAYA(ツタヤ)のお店の名前の元になった人だよね?
先生
先生
そのとおり!蔦屋重三郎は、江戸時代の有名な出版人(しゅっぱんにん)で、浮世絵や本をたくさんヒットさせた人だね。実は、この蔦屋重三郎は、最初は鱗形屋孫兵衛と一緒に仕事をしていたんだよ!

📗どんな関係だったの?

  • はじめは「協力関係」だった
    → 蔦屋重三郎は、もともと鱗形屋の出版物を売る本屋さんだったんだよ。
    吉原細見(ガイドブック)を売る仕事をしていたので、協力しながらお金を稼いでいました。
  • その後「ライバル関係」に!
    → でも、鱗形屋がトラブルを起こして出版ができなくなったとき、蔦屋重三郎が吉原細見の出版をはじめたんだ。
    → その後、蔦屋はどんどんヒットを飛ばし、鱗形屋はだんだん力を失っていったんだよ。
だいち
だいち
最初は仲間だったのに、ライバルになっちゃったんだね!
先生
先生
そのとおり!この関係が、2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう』でも描かれるから、鱗形屋孫兵衛の名前がまた注目されているんだよ!

📘 2. 出版業界のトップ企業だった理由

だいち
だいち
でも、どうして鱗形屋孫兵衛が「トップ企業」だったの? ほかにも出版社はあったんじゃないの?
先生
先生
いい質問だね!鱗形屋孫兵衛がトップだった理由は、**「江戸のヒット商品をたくさん生み出した」**からなんだ。

📗 3つの理由

1️⃣ 『吉原細見』の独占販売

  • 吉原細見は「観光ガイドブック」のような本で、鱗形屋が独占的に販売していた時期がありました。
  • 毎年「新しいバージョン」を作ることで、安定して売れ続ける商品だったんです!

2️⃣ 『金々先生栄花夢』の大ヒット!

  • 『金々先生栄花夢』は**江戸時代の「ギャグマンガ」**で、大ヒットした黄表紙(きびょうし)というジャンルの本でした。
  • ギャグの内容がウケて、江戸の人々は大笑いしながら読んだと言われています。

3️⃣ 宝船の版画が大ヒット!

  • お正月になると、「宝船の絵」を飾ると縁起がいいと言われていました。
  • 鱗形屋はこの宝船の版画を大量に作り、お正月に売り出したところ大ヒット!
  • 川柳(せんりゅう)にも「数万艘 鱗形屋で暮れに摺り(すり)」と書かれるほど、たくさん売れたことがわかります。
だいち
だいち
なんだか、いまで言う「ヒット商品を連発する企業」みたいだね!
先生
先生
そのとおり!いまで言うと、おもちゃメーカーやゲーム会社が毎年ヒット商品を出すのと似てるね!

📘 3. どうして鱗形屋孫兵衛は没落したの?

だいち
だいち
でも、どうして鱗形屋孫兵衛はだんだん力を失ってしまったの?
先生
先生
いい質問だね!鱗形屋孫兵衛が没落した理由は、トラブルが続いてしまったからなんだ。

📗 没落の原因3つ

1️⃣ 出版のトラブル(無断出版)

  • 鱗形屋の手代(従業員)が、大阪の本を無断でコピーして売ったことが大問題に!
  • 幕府から罰金(20貫文)を命じられ、それが信用の低下につながったのです。

2️⃣ ライバル「蔦屋重三郎」の台頭

  • 蔦屋重三郎が、鱗形屋の得意分野だった「吉原細見」の出版をスタートさせました。
  • 鱗形屋の売上が減り、蔦屋の方がどんどん力をつけていったのです。

3️⃣ 大事件が起きて所払い(追放)に!

  • 1777年、大名や旗本が関わる大事件に、鱗形屋も巻き込まれたと言われています。
  • これが決定的なダメージとなり、鱗形屋は没落してしまったのです。

📝 この章のまとめ

  • 鱗形屋孫兵衛が有名な理由は、江戸時代の「ヒットメーカー」だったから!
  • 彼は**「蔦屋重三郎」とはライバル関係**にあり、最初は協力していたけど、のちにライバルになったんだよ。
  • 鱗形屋は、『吉原細見』や『金々先生栄花夢』などのヒット作品を作り出し、江戸の出版業界をリードしました。
  • でも、出版トラブルやライバルの台頭、大事件の発生が原因で、だんだんと力を失い、最終的には没落してしまいました。
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江戸時代の「出版業界」ってどんな感じだったの?

だいち
だいち
先生、江戸時代の「出版業界」って、いまで言う出版社がたくさんあったの?
先生
先生
いい質問だね!江戸時代には、いまで言う「出版社」にあたる**「地本問屋(じほんどいや)」**があったんだよ。地本問屋は、江戸の町の人たちが楽しめる本を作って売る仕事をしていたんだ。

📘 1. 江戸の人はどんな本を読んでいたの?

だいち
だいち
江戸時代の人たちは、どんな本を読んでいたの?いまで言うマンガとか小説があったの?
先生
先生
そのとおり!江戸時代の人たちは、いまで言うマンガや小説のような本をたくさん読んでいたんだよ。学校の教科書に出てくる「浮世絵」も、本の表紙や挿絵(さしえ)に使われていたんだ。

📗 江戸の人が読んでいた本の種類

1️⃣ 草双紙(くさぞうし)

  • いまで言う「マンガ」や「絵本」のような本
  • 「赤本(あかほん)」「黒本(くろほん)」「青本(あおほん)」などの種類があって、子どもから大人まで楽しめる内容でした。

2️⃣ 洒落本(しゃれぼん)

  • **いまで言う「大人向けのコメディ小説」**のようなもの。
  • おしゃれな遊びや、面白い話がたくさん載っていたので、大人たちに人気でした。

3️⃣ 黄表紙(きびょうし)

  • いまで言う**「ギャグマンガ」や「コメディの本」**のようなもの。
  • 鱗形屋孫兵衛がヒットさせた**『金々先生栄花夢』も黄表紙のひとつ**です。

4️⃣ 浮世絵(うきよえ)

  • いまで言う**「アートポスター」や「写真集」のようなもので、歌川広重(うたがわ ひろしげ)や喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)が有名な「美しい絵」**です。
  • 浮世絵の絵が、草双紙や黄表紙の表紙や挿絵(さしえ)としても使われました。
だいち
だいち
マンガや小説みたいな本がたくさんあったんだね!しかも、浮世絵がマンガの表紙になってたなんて、びっくり!
先生
先生
そのとおり!いまで言う「マンガの表紙イラスト」や「本の表紙絵」を描く人が、江戸時代の「浮世絵師」だったんだよ!

📘 2. 本や浮世絵はどうやって作られたの?

だいち
だいち
江戸時代って、いまでみたいなプリンターがなかったよね?どうやって本を作ったの?
先生
先生
いい質問だね!江戸時代の本は「木版画(もくはんが)」という方法で作られたんだよ。 これが、いまでいう「印刷機」の役割をしていたんだ。

📗 江戸の本の作り方(木版印刷の流れ)

1️⃣ 原稿(げんこう)を作る

  • 作家(いまで言う「小説家」)が、物語を紙に書きます。

2️⃣ 彫師(ほりし)が木の板をほる

  • 彫師は、文字や絵を木の板にほりつけて、スタンプのような印刷のもとを作ります。

3️⃣ 刷師(すりし)がインクをつけて印刷する

  • 彫られた木の板にインクをつけて、紙に押しつけて印刷します。これを何枚も何枚も繰り返します。

4️⃣ 完成した本をとじて仕上げる

  • 最後にページをとじて、本の形にするんだよ!
だいち
だいち
木の板を使って本を作るなんて、いまで言うスタンプ遊びみたいだね!
先生
先生
そのとおり!でも、何百枚も同じ作業をするのはとても大変だったから、**いまで言う「職人さんの仕事」**だったんだよ。

📘 3. 「地本問屋(じほんどいや)」の役割は?

だいち
だいち
さっきから「地本問屋」って言葉が出てきてるけど、どんな役割をしていたの?
先生
先生
いい質問だね!地本問屋(じほんどいや)は、いまで言う「出版社の社長」や「本のプロデューサー」のような人たちだよ。

📗 地本問屋の役割

  • 作家に「こんな本を作ってよ!」と依頼する
  • できた本を印刷して、売れるように流通させる
  • どんな本が売れそうか考えて、企画を立てる
だいち
だいち
なるほど!いまで言う出版社の仕事とそっくりだね!
先生
先生
そのとおり!いまで言うと、本を売る「編集者」や「プロデューサー」のような仕事だったんだよ!

📝 この章のまとめ

  • 江戸時代の「出版業界」には、いまで言う「出版社」にあたる「地本問屋(じほんどいや)」があった!
  • 江戸の人々は、いまで言うマンガや小説にあたる「草双紙(くさぞうし)」や「黄表紙(きびょうし)」を楽しんでいたよ!
  • 本の作り方は「木版印刷」で、木の板をスタンプのように使って印刷していたんだ。
  • 地本問屋は、作家と協力して面白い本を作る「出版プロデューサー」のような役割をしていたんだよ!
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この記事のまとめ:鱗形屋孫兵衛は「江戸のヒットメーカー」だった!

鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)は、江戸時代の「地本問屋(じほんどいや)」を経営していた人物です。
いまで言うと、「出版社の社長」や「ヒットメーカー」のような存在でした。

彼は、『吉原細見(よしわらさいけん)』や『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』といったヒット作を生み出し、江戸の人々のくらしを豊かにしました。

しかし、出版のトラブルやライバルの台頭によって、しだいに力を失い、業界から姿を消してしまいました。