鱗形屋孫兵衛は、『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』という本を大ヒットさせた人物です。
また、「吉原細見(よしわらさいけん)」という遊郭のガイドブックも手がけていて、江戸の人たちにとって大切な情報を届ける仕事をしていました。
この記事では、鱗形屋孫兵衛がどんな人だったのか、どんな本を作ったのか、なぜ有名なのかを、小学生にもわかりやすく解説します!
鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)とは?どんな人?
📚 鱗形屋孫兵衛の基本情報
名前 | 鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ) |
---|---|
生まれた時代 | 江戸時代(生没年は不詳) |
職業 | 地本問屋(じほんどいや)→いまで言う「出版社の社長」 |
活やくした場所 | 江戸(いまの東京都中央区・大伝馬町三丁目) |
屋号(やごう) | 鶴鱗堂(かくりんどう)または鶴林堂(かくりんどう) |
鱗形屋孫兵衛は、江戸の大伝馬町(おおでんまちょう)三丁目に店をかまえていた本屋さんです。
彼が働いていた「地本問屋(じほんどいや)」は、いまで言うと「出版社」のようなものです。
本の作り方もいまでの出版社と似ていて、作家(いまで言う小説家)や絵師(いまで言うイラストレーター)と協力して、面白い本を作り、売る仕事をしていました。
📘 地本問屋(じほんどいや)って何?
📗 地本問屋の仕事の流れ
1️⃣ 面白い本のアイデアを考える(いまで言う「編集者」の仕事)
2️⃣ 作家や絵師に「こんな本を作ろう!」とお願いする(いまで言う「プロデューサー」の仕事)
3️⃣ できた本を売るために、本屋さんに届ける(いまで言う「販売会社」の仕事)
🌟 鱗形屋孫兵衛のすごさとは?
📘 鱗形屋孫兵衛が手がけたヒット作品
1️⃣ 『吉原細見(よしわらさいけん)』
- 吉原遊郭の「お店や遊女の情報がわかるガイドブック」
- いまで言う「観光ガイドブック」や「お店のレビュー本」みたいな感じ
- 江戸時代の人はこの本を読んで、どの店に行こうかな?と考えていたと言われています。
2️⃣ 『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』
- 黄表紙(きびょうし)というジャンルを作った画期的な作品
- いまで言う「ギャグマンガ」のように、面白い物語で大人気になった
- 主人公の「金兵衛(きんべえ)」が見た夢を描いた物語
📝 この章のまとめ
- 鱗形屋孫兵衛は、江戸時代の「地本問屋(いまで言う出版社の社長)」として活やくした人です。
- 彼は、**本を作ったり、人気の浮世絵を売ったりする「江戸のヒットメーカー」**でした。
- 代表作は、**『吉原細見(よしわらさいけん)』や『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』**があります。
どうして鱗形屋孫兵衛が有名なの?その理由を解説!
📘 1. 「蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)」との関係
📗どんな関係だったの?
- はじめは「協力関係」だった
→ 蔦屋重三郎は、もともと鱗形屋の出版物を売る本屋さんだったんだよ。
→ 吉原細見(ガイドブック)を売る仕事をしていたので、協力しながらお金を稼いでいました。 - その後「ライバル関係」に!
→ でも、鱗形屋がトラブルを起こして出版ができなくなったとき、蔦屋重三郎が吉原細見の出版をはじめたんだ。
→ その後、蔦屋はどんどんヒットを飛ばし、鱗形屋はだんだん力を失っていったんだよ。
📘 2. 出版業界のトップ企業だった理由
📗 3つの理由
1️⃣ 『吉原細見』の独占販売
- 吉原細見は「観光ガイドブック」のような本で、鱗形屋が独占的に販売していた時期がありました。
- 毎年「新しいバージョン」を作ることで、安定して売れ続ける商品だったんです!
2️⃣ 『金々先生栄花夢』の大ヒット!
- 『金々先生栄花夢』は**江戸時代の「ギャグマンガ」**で、大ヒットした黄表紙(きびょうし)というジャンルの本でした。
- ギャグの内容がウケて、江戸の人々は大笑いしながら読んだと言われています。
3️⃣ 宝船の版画が大ヒット!
- お正月になると、「宝船の絵」を飾ると縁起がいいと言われていました。
- 鱗形屋はこの宝船の版画を大量に作り、お正月に売り出したところ大ヒット!
- 川柳(せんりゅう)にも「数万艘 鱗形屋で暮れに摺り(すり)」と書かれるほど、たくさん売れたことがわかります。
📘 3. どうして鱗形屋孫兵衛は没落したの?
📗 没落の原因3つ
1️⃣ 出版のトラブル(無断出版)
- 鱗形屋の手代(従業員)が、大阪の本を無断でコピーして売ったことが大問題に!
- 幕府から罰金(20貫文)を命じられ、それが信用の低下につながったのです。
2️⃣ ライバル「蔦屋重三郎」の台頭
- 蔦屋重三郎が、鱗形屋の得意分野だった「吉原細見」の出版をスタートさせました。
- 鱗形屋の売上が減り、蔦屋の方がどんどん力をつけていったのです。
3️⃣ 大事件が起きて所払い(追放)に!
- 1777年、大名や旗本が関わる大事件に、鱗形屋も巻き込まれたと言われています。
- これが決定的なダメージとなり、鱗形屋は没落してしまったのです。
📝 この章のまとめ
- 鱗形屋孫兵衛が有名な理由は、江戸時代の「ヒットメーカー」だったから!
- 彼は**「蔦屋重三郎」とはライバル関係**にあり、最初は協力していたけど、のちにライバルになったんだよ。
- 鱗形屋は、『吉原細見』や『金々先生栄花夢』などのヒット作品を作り出し、江戸の出版業界をリードしました。
- でも、出版トラブルやライバルの台頭、大事件の発生が原因で、だんだんと力を失い、最終的には没落してしまいました。
江戸時代の「出版業界」ってどんな感じだったの?
📘 1. 江戸の人はどんな本を読んでいたの?
📗 江戸の人が読んでいた本の種類
1️⃣ 草双紙(くさぞうし)
- いまで言う「マンガ」や「絵本」のような本
- 「赤本(あかほん)」「黒本(くろほん)」「青本(あおほん)」などの種類があって、子どもから大人まで楽しめる内容でした。
2️⃣ 洒落本(しゃれぼん)
- **いまで言う「大人向けのコメディ小説」**のようなもの。
- おしゃれな遊びや、面白い話がたくさん載っていたので、大人たちに人気でした。
3️⃣ 黄表紙(きびょうし)
- いまで言う**「ギャグマンガ」や「コメディの本」**のようなもの。
- 鱗形屋孫兵衛がヒットさせた**『金々先生栄花夢』も黄表紙のひとつ**です。
4️⃣ 浮世絵(うきよえ)
- いまで言う**「アートポスター」や「写真集」のようなもので、歌川広重(うたがわ ひろしげ)や喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)が有名な「美しい絵」**です。
- 浮世絵の絵が、草双紙や黄表紙の表紙や挿絵(さしえ)としても使われました。
📘 2. 本や浮世絵はどうやって作られたの?
📗 江戸の本の作り方(木版印刷の流れ)
1️⃣ 原稿(げんこう)を作る
- 作家(いまで言う「小説家」)が、物語を紙に書きます。
2️⃣ 彫師(ほりし)が木の板をほる
- 彫師は、文字や絵を木の板にほりつけて、スタンプのような印刷のもとを作ります。
3️⃣ 刷師(すりし)がインクをつけて印刷する
- 彫られた木の板にインクをつけて、紙に押しつけて印刷します。これを何枚も何枚も繰り返します。
4️⃣ 完成した本をとじて仕上げる
- 最後にページをとじて、本の形にするんだよ!
📘 3. 「地本問屋(じほんどいや)」の役割は?
📗 地本問屋の役割
- 作家に「こんな本を作ってよ!」と依頼する
- できた本を印刷して、売れるように流通させる
- どんな本が売れそうか考えて、企画を立てる
📝 この章のまとめ
- 江戸時代の「出版業界」には、いまで言う「出版社」にあたる「地本問屋(じほんどいや)」があった!
- 江戸の人々は、いまで言うマンガや小説にあたる「草双紙(くさぞうし)」や「黄表紙(きびょうし)」を楽しんでいたよ!
- 本の作り方は「木版印刷」で、木の板をスタンプのように使って印刷していたんだ。
- 地本問屋は、作家と協力して面白い本を作る「出版プロデューサー」のような役割をしていたんだよ!
この記事のまとめ:鱗形屋孫兵衛は「江戸のヒットメーカー」だった!
鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)は、江戸時代の「地本問屋(じほんどいや)」を経営していた人物です。
いまで言うと、「出版社の社長」や「ヒットメーカー」のような存在でした。
彼は、『吉原細見(よしわらさいけん)』や『金々先生栄花夢(きんきんせんせい えいがのゆめ)』といったヒット作を生み出し、江戸の人々のくらしを豊かにしました。
しかし、出版のトラブルやライバルの台頭によって、しだいに力を失い、業界から姿を消してしまいました。